▼おやこひろば桜梅桃李(おうばいとうり) 代表
▼心理カウンセラー
▼親子カウンセラー
▼大阪府豊中市認可外保育園あおいキッズスクール・元園長(2006年5月~2009年4月)
▼ALOHA HEALING YOGA™ 認定リーダー
◆1968年5月3日兵庫県尼崎市生まれ。福岡県糟屋郡志免町育ち。
◆現在:大阪府吹田市 在住
◆1987年 福岡県立福岡工業高校 建築科卒
◆家族…夫(1971年生まれ) 3人息子(1991年産・2005年産・2007年産)
◆博多弁ベース、ボケつっこみは関西弁です。(*^_^*)
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幼少期の性暴力被害、両親からの「悪気無き精神的・身体的暴力」による自己肯定感の低さから、自暴自棄な思春期を過ごしました。18才から21才にかけてデートDV被害、孤独な子育てから、子どもへの虐待、うつ状態、アルコール依存、離婚、子連れ再婚などを経て、2006年カウンセラー資格を取得。学び、実践する中で、自身の傷ついた心とも向き合い、「生き方」を変えることができた経験から、どんな人にも、「生きる使命」がある!と確信、人間の可能性をどこまでも信じ抜くカウンセリングを行っています。2008年4月、認可外保育園の園長時代に、子どもへの虐待防止、母親の横のつながりや心のケアを目的とした「おやこひろば桜梅桃李」を立ち上げました。子どもたち、育てる親たちを加害者にも被害者にもしない子育てを伝える、泣いて笑って癒される講演会もご好評いただいています。性暴力、DV、虐待問題にも積極的に取り組んでいます。
ワタシの想い
と~っても長~いので、お時間のある時にどうぞ。(・∀・)
幼少期に性暴力被害に遭いました。
自分の身に何が起こったのかも理解できない頃。
5才で、隣に住んでいた、3姉妹のお友達の父親から。
7才で、当時16才の従兄から。
中学生になって、その行為の「意味」を理解したときの絶望感は
今でも忘れられません。
そして、この話を公にできるようになったのは、
40歳を過ぎてからでした。
それまでは、「汚い」と思われるという先入観で
親にも、誰にも話すことができませんでした。
これは、5歳のときの画像です。
「子どもらしい」笑顔がありません。
自分が希望した、誕生日プレゼントの自転車に乗っていて、
この表情です。
いつも、親や大人の顔色をうかがって、ビクビクしていました。
かと言って、
現在もその絶望感の中で生きているかというと、そうではなく、
楽しい人生を選択する力が自分にあることに気づけました。
しかし、ここまで来るまでには、
性暴力に遭った影響や、親にとって「いい子」でいなければいけない、
「悪い子」は「生きる価値さえない」という
自己肯定感の低さから、
思春期に入るころには、
人間不信、自傷、人生への絶望、自分への嫌悪感を
ずっとずっと引きずって
「自分の命」を否定し続けていました。
↓人と、まっすぐ目を見れなくて、
すだれみたいな前髪してた頃もありましたな(^_^;)
バンドやったりして、なんだかよ~わからんモヤモヤで、叫びまくってました。
作詞・作曲もオリジナルでやってたけど、
それはそれは、
自暴自棄な歌しか生まれませんでした。
担当は、ボーカルでございました( ̄▽ ̄)
心の傷を癒す術も知らず、
心の傷に振り回されて
「苦しいよ」「悲しいよ」「辛いよ」「助けてよ」
そんな気持ちを封じ込めてしまった反動で、
たくさんの人を巻き込んで、
たくさんの人を悲しませてしまいました。
あらゆる暴力の被害者は、
誰かに助けてもらわない限り、
誰かに気づいてもらわない限り、
自分の命の尊さに、自分で気づかない限り、
やがて、加害者になっていくのです。
詳細は、blog記事、
幼少期の性暴力被害のこと←コチラです。
(フラッシュバックにご注意ください)
中学3年くらいから、
夜な夜な遊べるお友達と、
いらんことばっかりやってました・・・(^_^;)
↓関西テレビさんで2010年7月22日放送された
スーパーニュースアンカーに提供させていただいた画像です。
さらに、18歳から21歳(1986年~1989年)まで、
DVオトコにつかまる(@_@;)
付き合い始めて約半年したころ、
居酒屋で突然ブチ切れられて、
過去につきあっていた男性とのことを咎められ、殴られる。
当時は彼氏から殴られることを
「私のことをここまで愛してくれてるからなんだ」と思っていました。
・・・だって、父は私が小さな頃から
父が気に入らないことをしたり言ったりしたら
「お前を思ってるからや~!」
「お前を愛してるからやぞ~!」
って私を殴ってたから。
親は殴ってOK。彼氏はダメ。
そんな理屈は通用しないのです。
親から殴られて育った子どもは、
暴力を受けることを引き寄せます。
暴力を容認して、やがて加害もしてしまいます。
「全部、ワタシが悪いから」
「悪いことしたら、殴られなくてはいけないから」
そんな、歪んだ認識で、飲んでは殴られる日々。
友達の前で殴られていても、
暴力を誰も止めてくれず、ひとしきり殴られた後で、
そばに居た彼の友人が、彼に対して
「もう、気がすんだろう。それくらいでいいっちゃないや?」と。
男性が気に入らなければ、女性を殴っていいという
男尊女卑という歪んだ思考が浸透していたんですね。
翌日、腫れあがった顔のまま、会社に出勤。
友人から「また殴られたと?もう、別れり~よ!」
って何度も諭されましたが、
例に漏れず、「この人は、私が救わないと!」
って、変な正義感(歪んだ承認欲求)と
「誰も助けてくれない」
「誰も私のことはわかってもらえない」って思いこむ、
DV被害者定番の、諦めのメカニズム。
ある日、ワタシの顔が殴られて腫れていたとき、
近所のオネエサンが訪問してくれて
DV被害を受けていたことが発覚。
オネエサンのサポートもあり、距離を置くことができ、
やっと自分の状況を冷静に見つめることができ、
半年かけて命がけで脱出成功。
ちなみに、中学から高校までの、
つきあっていた彼との写真や、
DVオトコが「気に入らない」とされる写真は、
「俺の目の前で全部焼け」と命令され、
逆らえずに家の庭で焼かされました。
その後、実家が家事で全焼し、
卒業アルバムなども焼けてしまい、
残っている写真があまりありません(^_^;)
どんだけ焼くね~ん(^_^;)。
1991年、1回目の結婚。
1991年9月長男出産後、
1992年6月、長男9カ月の時、元夫さんの転勤で熊本県八代市に。
当時は携帯もパソコンも無い時代、
親戚も友人も周りにいない中、孤独な子育てに。
育児の相談に乗ってくれる人もない上に、
「相談することは恥」という思考に支配されていたので、
「助けて、わからない」と言えず、一人抱え込んでしまい、育児ノイローゼに。
泣く息子に「泣くな!」と怒鳴って余計泣かれて、今度は手をあげる。
別の部屋に閉じ込める。
そんな時のワタシは、
「感情」が遠いどこかに行ってしまったような状態でした。
ふと我に返って、長男の姿を見にいくと、
泣き疲れて、しゃくりあげながら畳の上で寝ているのです。
その姿を見て、今度は自己嫌悪。
「どうして優しいお母さんになれないんだろう。
どうしてワタシには出来ないんだろう。
ワタシは母親として失格。そもそも人間として失格」
そうやって自分を責めて、
この子を殺して、自分も死のうと思うことの繰り返し。
でも出来なくて、「今度こそ優しくしよう」と思うものの、
どうしていいのかわからず、同じことの繰り返し。
↓1993年 25才の頃。(長男1才半)
転勤から約半年。
檻の無い独房状態。
精神的に地獄のような毎日を送る中で、
このままでは、ワタシも長男も壊れてしまう。もう限界!!
一人で泣いて悩んで苦しんで、
環境を変えたほうがいい。長男を保育園に預けて離れたほうがいいと思い、
仕事を見つけ、長男を保育園に預けました。
あんなに一緒に居るのが苦痛だったのに、
初めて保育園に預ける日は、
「ダメなお母さんでごめんね~」と
離れがたい気持ちになることに自分で驚きました。
日中、長男と離れて「人間らしい会話」ができる仕事をして、
保育園に迎えに行くと、
やっと長男の存在を愛おしいと感じるようになりました。
そこから、長男との距離がとってもいいかんじになりました。
(いいかんじ?っていいかんじ たいw)
後に、育児ノイローゼの場合、
できることなら、数時間でも離れたほうが良いことを知り、
この時の選択が間違っていなかったのだと
確信することが出来ました。
そもそも、本来、人間は共同養育をして、赤ちゃん、子供を育てるように、脳やホルモンバランスの影響を受けるようになっているので、孤独な子育ては、育児ノイローゼになってしまうのは、当然と言えば当然なのです。
しかし、当時は心の傷を癒す
「カウンセリング」などを受けるということ自体が
社会的に認識されていなかった時代、
自分の心の傷を放置していたことで、
性暴力被害からくる「男性」への復讐心に加え、
「健全な夫婦関係」の築き方が全くわかりませんでした。
自己肯定感が低いことからくる
「否定されたくない」感情が、
歪んだ「私は間違ってない」信念になり、
人の意見が聴けない、
聴くことが怖い=他者への否定になり、
誰にも本音を言えず、
表面で笑っていても、いつも心が空虚な状態。
↓1998年ごろ 超 空虚な30才(笑)ウエスト、こんなに細かったっちゃね~(笑)
んで目が笑ってない( ̄▽ ̄)
たくさんの人に対して、
「ワタシは不幸でいなければいけない」という
「思い込み」の負のスパイラルループに巻き込んで、
幸せと感じるようになると、無意識に、それを壊すような言動や行動をしてしまい、元夫さんはじめ、あらゆる人を悲しませて、2003年1月離婚。
余談ですが・・・
1996年(28歳)~2002年まで、市民劇団『生活舞台』で、芝居やってたりもしてました(笑)
現在の講演会・セミナーでの「劇場型」は、ここで培われた・・・のかな?声の出し方や、見せ方、表情なんかを、いろいろこだわってましたね~。
結婚なんて、二度としたくない!と
周りにも断言していたのに、縁あって、2004年、再婚(笑)
しか~し!!
再婚当時 中学1年生だった ワタシの息子と、
再婚した夫との関係性に悩む日々が続きました。
「良かれと思って」生活のあらゆる場面で
いろいろと指導してくれる夫。
その指導を「ワタシのしつけが 行き届いてない」という
「当てつけ」なんだと思い込んで
被害妄想に陥るワタシ( ̄▽ ̄)
(思考のクセって、コワイ~(>_<))
やっぱり「子連れ再婚って、うまくいかないのかな・・・」
ニュースや、世間の「ウワサ」に洗脳されて
「子連れ再婚」=「幸せになれる」方程式は
まったく想像できませんでした( ̄▽ ̄)
ある日、雑誌で見つけた
子連れ再婚についての記事で
「子連れ再婚セミナー」が大阪で開催されることを知り、
セミナーを夫婦で受講。
当時、夫は参加することを嫌がってましたが
無理やり一緒に行ってもらいました。
(その後、いろいろと協力的になってくれました~(笑))
講師から
「和美ちゃん、カウンセラーになりっ!」っと、
誘われるままに、カウンセリングの勉強をはじめました。
そんな中、当時、夫が働いていた会社が、
認可外保育園を立ち上げることになり、
ちょっと手伝うはずが、
巻き込まれてしまって
認可外保育園の園長に就任。
(巻き込まれ過ぎやろっ!( ;´∀`))
園長職をしながら、
カウンセラーとして、
長男のこと、再婚後に産まれた次男と三男のこと、
「泣く」園児のこと、
悩んで悩んで、
日本抱っこ法協会の研修はじめ、
森田ゆり先生主宰のエンパワメントセンター研修で、
性暴力や子どもへの虐待、DVの対応と予防などについて学んだり、
大阪大学 藤岡淳子先生代表の「もふもふ研修」で
加害者の治療教育や、被害者支援について学んだり・・・・・。
その他にも、いろんなセミナーや、
研修会、講義に参加しまくり、
同時に、自分ととことん向き合う「カウンセリング」や
「セラピー」を受けました。
現在でも、定期的に自分メンテナンスとして
文倉紫先生のボディトークのセッションで、
自分の心と体の自然治癒力を高めて
自分の癒しを続けています。
学んだことを、自分の子育てで実践を重ね、
何より、自分のココロの奥の「痛み」ともガッツリ向き合う中で、
自分の心が癒されていくのを感じることができるようになりました。
そして、やっと「ワタシは、ワタシのままでいいんや~(*^_^*)」と、
「自分」を認めてあげることができたのです。
「寂しい」も「不安」も「悲しみ」も「苦しみ」も
「見捨てられ不安」も「自信のなさ」も「恐れ」も、
全部、「ワタシの大事な気持」。
同時に、なぜ一番身近な人に
心を開くことができなかったのかに気づくことができました。
それは、ワタシ自身が育った環境の中で
「自己肯定感」が全く育っておらず、
「ワタシはワタシのままで愛される」ことなど無い
という歪んだ信念から、
ワタシに近づく人に対して
「どうぜ、ワタシを捨てるでしょ」っていう
見捨てられ不安が大きくなり、
捨てられるくらいなら、心なんか開かない。
捨てられて心が傷つくなら、先にワタシから捨ててやる!
そうやって、身近な人たちを傷つけていったのです。
自分の傷ついた心の痛みにフタをし続けて、
痛みが麻痺していたために、
「人の心の痛み」も感じることができませんでした。
でも、その行動は、それまで、いろんな傷を心に負ったワタシを
守ってきてくれていたことにも気づくことができました。
ワタシ自身の心をガードするためだったからと言っても、
ワタシの行いで深く心が傷ついた人たちは実際に存在していて、
自分が傷ついたからと言って、
人を傷つけていい理由にならないわけで、
そんな、傷つけあいの連鎖を、終わらせたいと思うようになっていきました。
自分を認めて、「変えられる=宿命転換・人間革命」ができると
「自分を信じる」ことができる。
「自分を信じる」ことができたら、
夫も、子どもも、周りの人も
みんな、「信じること」ができるようになりました。
自分が、価値ある存在だと、本当に理解できたとき、
目の前にいる人の価値も、感じられるようになりました。
そして、加害者に対する想いも、
憎しみや恨みや復讐心から変化していきました。
加害者も生まれたときは、カワイイ赤ちゃんだったし、
誰かに誕生を喜ばれた存在だったはずなんだと。
育った環境の中で、だんだん自分の可能性を信じることができなくなって、
自己肯定感が育たず、自暴自棄になってしまったのではないかと。
なんなら、かつてのワタシは「加害者」やったやん(^_^;)と。
本当は、自分を認めて欲しかった。
ネガティブでもポジティブでも、「そこに居る」だけで
愛される存在なのだと抱きしめて欲しかった。
でも、認めてもらえなかったことで、
歪んだ認識、「生きること」への否定から、
目の前の人の「生きること」も「否定」する悲しい行動を取るに至ったのだ・・・と。
憎しみや復讐心から「理解」へ変わり、
被害当事者としての側面と、
加害者的なワタシの過去と重なる部分も多く、
一人でも多くの方に、自分の体験も通して、
「加害者にならない生き方」
「加害者を作らない子育て」は
可能であることを伝えていきたいと強く決意しました。
復讐することは気持ちよくないよ~幸せになっていいとよ~
子育て中の親子と関わる仕事を通じて、
心を癒す仕事を通じて、
「加害者も被害者もをつくらない社会創り」から、
「世界平和」を目指していきます。
↓2014年5月3日 再婚10周年記念 仮装大会しました(笑)
左端から
三男(当時小1)@ピカチュウ
次男(当時小4)@鷹の爪団 総統
ワタシ(当時46才)@マリーアントワネット
夫(当時42才)@ホスト
長男(当時22才)@グレンラガン シモン
仲良し家族、ここに有り!です。
「子連れ再婚」は「うまくいく」んです!
そして、お色直し?で、
宝塚歌劇団『ベルサイユのばら』オスカル やりました。
超自己満足の世界( ´∀`)楽しかったです(笑)
※夫は、ペガサスの仮装(背中に羽付き)で、オスカルの相手役「アンドレ」???でした(笑)
今、生きてることが楽しいです。
今、生きててよかったって思います。
今、ここに居るのは、過去の全てがあったからだと思います。
どのエピソードが欠けても、「今のワタシ」は存在しないのです。
全てに意味がありました。
冬は必ず春となる。
明けない闇は無い。
だから、どんな人にも「使命」があると信じるのです。
どんな人にも「生きるチカラ」があると信じるのです。
「困難」が「有った」から、全部「有難い」
「困難」なことから、ワタシは
「生きることの素晴らしさ」を教えてもらいました。
これまで出会ってくれた人、み~~んなに、有難うです。
これから出会ってくれる人、み~~んなに、有難うです。